「鴨」昔々に亡くなった人の相続の話

古びた田舎に家族で住むAさんは、江戸時代から合鴨農法を営む農家の跡取りであり、多数の水田を有し、ブランド米を生産しておりました。働き者のAさんの唯一の趣味は蕎麦打ちでした。

ある日、Aさんが家から最も離れた場所にある畑を耕していると、スーツを着た紳士が現れ「あなたの畑ですか?」と尋ねられ、「そうだ」と答えると、自宅の住所を聞かれ、いずれ正式に挨拶に伺いますと言って、巨大IT企業の社員であることを示す名刺を置いていきました。

数日後、巨大IT企業の社員数名が高価なメロンを持参してAさん宅を訪ねてきました。聞けば、Aさんが耕していた畑にデータセンターを作るので売って欲しいということでした。

年老いたAさんは、畑が広すぎ家からも遠いため耕作を放棄しようかと思っていたので、渡りに船とばかりに畑の売却を承諾しました。すると、IT企業の社員たちから思いがけないことを言われました。その内容は「登記簿上の所有者はAさんの名前になっていますか」というものでした。

後日、Aさんが法務局に赴き、法務局の職員に教わりながら登記簿を確認すると、Aさん宅とその周辺の水田の所有者はAさん名義になっているのに、なぜか買収対象となっている畑のみAさんと同じ苗字のBさんという人が所有者として記載されていました。

帰宅したAさんが仏壇の中の位牌や過去帳を調べたところBさんは、Aさんの高祖父(祖父の祖父)であり昭和25年に亡くなっていることがわかりました。また、高祖父が亡くなった時、どのような遺産分割がなされたのかがわかる資料は全く残っていませんでした。

どうしていいものか途方に暮れたAさんは高校の同級生で弁護士をしているCさんに相談すると、70年以上にわたって相続が繰り返されているだろうから、高祖父の相続人が現在誰なのかを調べた上で、相続人全員で畑について遺産分割協議をすることになるが、相続分をAさんに譲渡してくれる相続人がいないかどうかも確かめた方がよいと言われました。Aさんは、そのような手続きを自分でできる気がせず、全てCさんに依頼することにしました。

そして、CさんがBさんの戸籍とBさんの子や孫や曾孫や玄孫にあたる人の戸籍を隈なく取り寄せたところ、Bさんの相続人は、Aさんを含め、なんと70人いることがわかりました。

そして、Cさんが相続人の所在を調査中も、何人かの相続人が亡くなり、最終的には相続人は上は105歳から下は3歳まで総勢80人となり、その住所も判明しました。

超高齢の相続人もいるため、鷹揚に構えている暇はないと判断し、Cさんは他の相続人に対し、相続分の譲渡を打診することにしました。相続分譲渡価格は、畑の売却予定価格を全相続人の法定相続分に沿って按分した額にすることとしました。

Aさんは、Aさん宅で相続説明会を複数回にわたって開き、その都度、参加者にお車代とAさん手打ちの蕎麦をお土産に渡しました。また、高齢でAさん宅に来られない相続人には、Aさんから手打ちの蕎麦を持って訪ねて行きました。

Aさん宅を訪れた相続人たちは、初めて見る合鴨農法に目を見張り、幼い相続人たちは何十羽といる可愛いい鴨たちが縦横無尽に水田の中を泳ぎ回る様子を見て目を輝かせていました。

Aさんの柔和な人柄と丁寧な説明のせいもあり、Aさんは他の相続人全員から相続分譲渡の承諾を得ることができ、無事、畑の名義をAさんに変更することができ、相続分譲渡代金の支払も完了しました。

Aさんは、相続分譲渡に応じてくれた相続人たちに感謝の気持ちを表そうと考え、Aさん宅でお礼の会を開くこととしました。そして、Aさんの田の稲穂がすっかり実り、鴨の姿も見えなくなった秋晴れの日、Aさん宅の大広間に多くの相続人が集まりました。Aさんは具沢山の手打ち蕎麦を振舞い、そのあまりのおいしさに皆が舌鼓を打ちました。

すると、鴨がいなくなったことに疑問を持った幼い相続人たちは蕎麦を口いっぱいに頬張りながらAさんに無邪気に尋ねました。

「たくさんいた田んぼの鴨さんたちはどこかに引っ越したの?」

Aさんはニコニコしながら答えました。

「そうだよ。今、君たちの胃袋の中にいるよ。」


コメント

何世代にもわたって土地の相続を繰り返してきたにもかかわらず移転登記を放置していた土地は、不動産登記簿を見ても所有者が直ちに判明しない土地となり、全国的にもこのような所有者不明の土地は増加しており、その解消が急務とされていました。

これまでは、公共事業等に伴い先祖の土地を手放すような事態でも生じない限り、移転登記が放置された先祖の土地について相続人が重い腰を上げて移転登記をしようと考えることはほとんどありませんでした。

しかし、令和3年に新設された不動産登記法の規定(令和6年4月1日施行、施行日から3年間の猶予期間あり)により、不動産を取得した相続人は3年以内に相続登記をすることが義務付けられ、登記を怠ると過料に処せられることとなりました。もっとも、何世代にもわたって相続を繰り返してきたにもかかわらず移転登記が放置されている土地については、そもそも遺産分割協議書等が存在しないため、相続人の間で改めて遺産分割協議をしなければなりません。

しかも、土地の移転登記が放置されたまま相続が何度も繰り返されているため、相続人は多数となり、多くの人の戸籍(除籍)謄本を取り寄せなければ相続人が誰になるかがわかりません。また、相続人が誰かわかったとしても、住所がわからないこともあります。その場合、家庭裁判所に不在者財産管理人を選任してもらう必要があります。高齢で判断能力のない相続人がいることもあります。その場合、家庭裁判所に成年後見人を選任してもらう必要があります。

そうこうしているうちに高齢の相続人が次々と亡くなり、相続人の数がどんどん増えていくことになります。さらに、相続人全員と連絡が取れたとしても、今回取り上げた事例のように相続人全員が相続手続きに協力してくれるとは限りません。相続手続きを進めようとする相続人の説明が不十分だったり、強引だったりすると、不信感を持った相続人が話し合いに応じてくれないこともあります。

しかも、相続が何度も繰り返されると、個々の相続の時期によって法定相続分の割合が異なることがあるため、相続人全員の法定相続分を算定するのは、なかなか骨の折れる作業になります。

このように昔々に亡くなった人の相続が問題になったときは、まずADRに相談してみるのもいいかもしれません。