相続人の一人が遺品を勝手に売却したらどうなる?

九州の旧家のAさんには妻のBさんとの間にCさんとDさんの2人の息子がいました。堅物のCさんは地元の役場に勤め、妻子と仲良く暮らしていました。

一方、お調子者のDさんは若い頃に東京に出て、職を転々とした後に起業し、個人輸入した外車をカスタムして車好きに販売する仕事をしていました。Dさんは仕事が忙しいこともあり長い間実家には帰っていませんでした。

やがて、Aさんは病に倒れ、この世を去りました。

Aさんの遺産には時価1億円の自宅不動産と5000万円の預金がありました。そして、ガレージには数年前にAさんが知人から譲り受けた初年度登録が30年以上前の埃を被ったイタリア車がありました。

実家に帰ってきたDさんは、Aさんが所有するイタリア車が数千万円の価値を有する希少車であることに気づきました。

Dさんは、顧客の旧車コレクターの会社経営者に対し、Aさんが亡くなったことを隠して、Aさんからイタリア車の売却を頼まれていると話したところ、5000万円で買い取るとの申し出を受けたため、その場で売り渡すことを約束しました。

早速、Dさんは、BさんとCさんにイタリア車の売却の話を持ち掛けたところ、BさんとCさんは、Aさんが大事にしていた車をすぐに売却することには賛成できない、その前に遺産分割協議の話をするべきだと言われました。

困ったDさんが、Aさんが使っていた書斎の机の引出しを整理していたところ、Aさんの実印と印鑑証明書を発見しました。ここでDさんはとんでもない悪事を思いつきます。

Dさんは、実家のガレージに忍び込み、イタリア車を持ち出し、会社経営者に対し、Aさんの了解を得ていると嘘をつき、売買契約書にAさんの実印を押し、Aさんの印鑑証明書を添えてイタリア車を会社経営者に引き渡しました。

会社経営者は、1か月後にDさんの口座に5000万円を入金することを約束しました。

後日、実家のガレージからイタリア車が無くなったことに気づいたBさんとCさんから問い詰められたDさんは、間もなく5000万円が手に入るんだ文句はあるまいと開き直りました。

しかし、いつまで経っても5000万円は入金されませんでした。実は会社経営者の会社は事実上倒産しており、会社経営者は所有していた旧車とともにイタリア車を転売し、それにより得た金を持って海外に逃げていたのでした。

DさんはBさんとCさんに対し、「5000万円が手に入らなかったのは不可抗力だしかたない。とりあえず遺産分割協議をしようよ。残っている遺産は1億円の自宅不動産と5000万円の預金の総額1億5000万円であり、僕の法定相続分は4分の1だから預金のうち3750万円もらえればいいよ。」と言いました。

でも、BさんとCさんは「高価なイタリア車を勝手に売却したのはDさんなのに」と思うと釈然としません。

そこで、近所の長老と呼ばれている博識の老人に相談したところ、「昭和のころ、親の相続で家庭裁判所の調停を利用したとき、調停委員から遺産分割の時に存在しない遺産は分けようがないと言われた。Dさんが売却したイタリア車も既に存在しないから遺産分割の対象にならないと思う。ただ、遺産分割が終わるまでは遺産は相続人全員の共有財産だから、共有財産であるイタリア車を勝手に売却したDさんに損害賠償を請求できると思う。」と言われました。

しかし、BさんとCさんは、Dさんに損害賠償を請求しても応じるとは思えず、かといって、Dさんを相手に損害賠償の訴えを起こすのも難儀なことと思い、途方にくれていました。

BさんとCさんの様子を見兼ねた友人の勧めにより、BさんとCさんは、民間のADRでの調停を利用することとなり、DさんもADRでの調停に応じてくれました。

ADRの調停で法定相続分の現金が手に入ると思ったDさんは、調停人から以下の説明を聞き、ガックリと肩を落としました。

「BさんとCさんが同意すれば、たとえDさんが反対しても、イタリア車を遺産分割の対象とすることができます。むろん、既に存在しないイタリア車をBさんとCさんは取得することができないので、イタリア車を処分したDさんが取得する扱いとなります。そうすると遺産分割の対象となる遺産は時価1億円の自宅不動産と5000万円の預金に加えてイタリア車となり、仮にイタリア車の評価額が5000万円だとすると遺産の総額は2億円となります。」

「Dさんの法定相続分は4分の1だから5000万円相当の遺産を貰えることになりますが、Dさんが5000万円相当のイタリア車を取得した扱いとなれば、Dさんが新たに貰える遺産は存在しないことになります。」

コメント

かつて遺産分割は遺産分割の時に存在する故人の財産を相続人の間で分配する手続とされていたことから、相続人全員が合意しない限り、遺産分割の時に存在しない故人の財産が遺産分割の対象となることはあり得ませんでした。

例えば、相続人の一人が他の相続人に内緒で遺品である高価なブランドバッグを換金したり、故人のキャッシュカードを使って多額の現金を引き出した場合、ブランドバッグは既に存在せず、引き出された現金も遺産そのものとは言えないことから、相続人全員が同意しない限り遺産分割の対象とすることができませんでした。

しかし、令和元年に施行された改正民法では、相続人の一人が故人の財産を勝手に処分した場合、他の相続人全員が同意すれば、存在しないはずの故人の財産も遺産分割の対象とすることができるようになりました。

そして、その場合は、存在しない故人の財産は、その財産を処分した相続人が取得する扱いとなり、相続人の間での公平が図られることとなります。

この場合の「処分」には遺品を棄損・滅失する行為も含まれます。